思考と行動力 留学のためのプロセス
前回のブログで、留学を決意したのを書かせて頂きましたが、
行くまでには、その時の自分には非常に困難な壁がありました。
思考と行動力の結果、もちろん家族には感謝です。が留学に行くことが出来ました。
そのプロセスの話をさせて頂こうと思います。
友人のホームパーティの衝撃から帰宅し、頃合いを見計らって母親との会話。
自分「留学することにした!」
母「ええ!何言ってるの?」「無理よ、そんなお金はないわよ」
自分「もう決めたから」
母「でもなんで急に?どこに?」
自分「タイ!」
母「タイ!?!?!」「農家にでもなるの?」
失望と怒りと呆れの織り交じった表情で、「もう知らないわよ!」と会話終了。
さすがに他のお願いとは異なり、なしのつぶて。でもここで諦める気持ちは1ミリもありませんでした。
問題は英語力とお金。
まずは、2年間の留学費の計算。最低金額を見積もって、授業料が50万くらい。生活費を100~150万として、年間200万円、2年で最低400万円は必要という見立てになりました。
自分はもちろん、貯金は無し。まずは頼れるところから。離婚はしているもののたまにごはんを食べながらお小遣いをくれる父親に相談に行きました。
やはり、バブル崩壊の余波でそんな余裕ない+再婚していて子供二人もいるからごめん。。。とのこと。
色々資金繰りを模索していると、当時の国民金融公庫の教育ローンがあることを知りました。限度が200万だけど、金利も非常に低く、将来の負担になりずらい。
親の年収が一定以下だと対象となるのでここはクリア。一旦半分は確保の見込み。
一方で英語力。先生の推薦は出してくれるが、現地では最難関の大学院。
英語力がないとそもそもアプライが出来ないとのこと。TOEFLで当時の最低213点だったかな?を満たさないとダメらしい。
ヤバい!英語なんて受験以来勉強してない。。。ただ、幸いにも英語は小学生から塾に行っていたので、まあまあ得意なほう。ただ、スピーキングとリスニングはほぼ、ダメだったので改めて語学学校に行く事にしました。
大学と週5、6のバイトと英語学校。友達との遊びはここで辞めました。
1年で単位が14単位しかとってなく、3年と4年は’フル単’とらないといけない土壇場の
状況で週5日の授業と、夜から朝までのバイトはほんとにきつかったです。体も壊しかけました。自律神経失調症と診断されて、体は限界に近い状態でした。肉体的にはこの時期が今までで一番辛かったと思います。
そんなこんなで、英語力は少し上達。実際には、しゃべったり聞いたりする癖がついてきたという感じでした。タイのきっかけになった友達と自分とは英語でしゃべってくれて英語漬けの日々でした。
そして、母親に再度交渉。
英語は今ここまでやってる。そして貯金も少し貯めている。(といっても20万とか)
留学資金も半分は目途がついた。だから何とかしてほしい、と。さすがに大学4年になるタイミングでしたし、就活は今さらできないという自分の悪巧みもありましたが。
ついに母が歩み寄ってくれました。祖母と叔母になんとか頼んでみるとのこと。そして
資金問題は一旦解決しました。
そして、英語問題に戻り、TOEFLのCBTテストを受ける・・・
が結果は、全然到達していない。記憶にもないけど大幅未達だったと思う。
大学院の応募が近づいている。もう無理か・・・でも諦めない。
応募要項を見ると、TOEFL〇〇点位の英語力のCertificationと書いてあるではないか。
これは、チャンス。なんとかならないかと思って、TOEICも受けるが足りない。
最後の勝負だ!と思い。留学前に1か月オーストラリアの英語学校+ホームステイに留学することに。
ここで勉強した証明書と日本の英語学校の修了書とTOEFLの結果をもとに打診。
その教授のお蔭もかなりあったと思うけど、大学院のスタートの前の2か月間、プレコースなるものを受ける事を条件に無事に入学の許可がおりました。
そんなこんなで、英語とお金問題は無事解決し、大学の卒業も決まり留学する準備が整いました。
長い文章になりました。
また、次回タイの生活なども書きたいと思います。