5億円の資産でセミリタイアを目指す

外資サラリーマンが45歳までにセミリタイアして、本当にやりたい事をするための考えを述べたブログです

人との出会いがその人の人生を決める

前回のブログで「金持ち父さん 貧乏父さん」に影響を受けた話をしましたが、

自分の生活環境で実際にあった出来事を書きたいと思います。

 

自分の実家は、父親は自営で会社を営んでいますが、両親は自分が小学生くらいに

離婚して、自分は母に育てられていました。

母は、年収とかは聞いた事はないけど小さい会社の普通の社員。毎日7時くらいには帰っていたので、今思うとかなり大変だったのだろうと思います。

自分と自分の兄を育てるので家計はいっぱいいっぱい、実際には父からの養育費なんかももらっていたみたいなので、貧しいという気持ちはあまり感じたことはなかったです。ただ、いつもお金がない、厳しい・・みたいなことを言ってました。

母は、実家が昔お金持ちだったけど、祖父が連帯保証人になったことで、資産も無くなり、保守的に育てられた人です。兄は、おかげですごく堅実な考え方を持っていて(今でもすごいなと思っています)自分とは性格や考え方は正反対でしたのでしょっちゅう喧嘩が絶えない家庭でした。

自分は、将来お金持ちになるから自己投資(当時は遊びの)のお金をくれと言っては

咎められ、東京の高校だったのでお金持ちの家庭の友人が羨ましく見えたり、お金がなくて出来ない事もたくさんあって悔しい気持ちはあったと思います。

そんなもやもやと思春期が重なり、学校にも行かなくなり、高校生なのに夜中まで街をふらつくやんちゃな学生となっていました。

 

そんな時に出会ったある友人。もちろん今でも親友です。

彼は海外で生まれた日本人で、英語も日本語も出来る、モテるし人気もあるやつです。

家族も両親とすごく仲が良くて、やりたいことは何でもやりなさいという環境で育てられた人でした。

そんな彼とたまたま家が近かった事もあり、頻繁におうちにお邪魔してご両親とも仲良くさせて頂きました。

彼のお父さんは、仕事柄海外に行くことも多く、また自分で時間のコントロールのできる仕事をしていたようで、いつも余裕があり、微笑みかけてくれる、そんな人でした

自分の周りには、両親や友達含めてそんな海外に関係ある人もほぼいなかったので、今まで一般的な日本の考え方の枠内で物事を捉えていましたが、この家族のお蔭で、自分の心の葛藤がなくなり、「やりたいことをやる!」という考えを確信したと思います。

 

 時は動いて、大学3年生の夏。

普通の大学生は、「就活」を始める時期です。

名前は知られているけれども、早慶には劣る1流まではいかない大学生だった自分は

どうしようか悩んでいました。大学時代は(高校からだけれども・・)遊びとバイトしかしていなく、単位もぎりぎりの状況で、ゼミにも入ってないし、英語もできない。

これと言ったスキルも知識もなく、面接で強みは?と聞かれたら、「コミュニケーション能力ですかね!」と答えてしまうそんなどこにでもいる学生でした。

そんな時期に、その友人の「家族がいろんな人が集まるホームパーティあるからおいで」と招待されたので、そのパーティに行きました。

そこで出会ったあるご年配の方。やはり友人の父親のように穏やかで、にこやかな話し方をする余裕のある方でした。何していらっしゃるのか聞いてみると、日本の〇〇大学の教授とタイの国立大学で、教授兼アドバイザー(えらい人らしい)をしているようでした。

「君は何をしているの?」という質問に「〇〇大学の学生です。今3年なので、これから就活をしようと思っています」と答えました。

少しの沈黙、そして自分を観察する目、数秒後に、「うちのタイの大学院に来ない?」

との質問。

「はあ?」

留学するお金も無い、英語もできない、ましてや留学なんて行きたいとも思っていなかった自分。なんで俺?と思いながら、色々質問してみました。すると、

「タイで一番の名門校で、海外の有名大学の教授が講師である」

「経済学は古い学問で世界のどこで勉強しても基本は同じ」

「生活コストも授業料もはるかに欧米よりも安い」

「英語での授業」

「これからは必ずアジアの時代が来る」

「欧米の留学生はたくさんいるけど、アジア(更にタイ!)に留学する人は皆無」

 

タイは、たまたま教授と出会う少し前に友人に連れて行かれた初海外。お金も無かったし、興味もなかったけど、「予約もうしちゃったから」という事で断れなく行った場所。当時は、もちろん、日本より物価もめちゃくちゃ安くて、雑多な街。お金を持っていない人も多く、でも街は非常に活気があり、何より信じられなかったのが、当時バブル弾けて社会全体が暗かった日本に比べて、みんな底抜けに明るい事。

世界って色々な人がいるんだなあと、海外に少しだけ興味を持ち始めた瞬間

 

その流れでのこの教授の提案。

人と違う事をしたい、人よりも違う人生を行きたい(けど殻をやぶれない)と考えた自分は、ここが一つの勝負だ!と思い、すぐに、「行きます!」との返事をしました。

タイミングとご縁は、どこにあるかはわからない。

でも、結果、この意思決定が自分の将来に決定的に変わるターニングポイントとなりました。

 

勝手に決めた留学。ただ、お金と英語問題は解決していない。

どうしたかは次回書こうと思います。